2009年 07月 25日
芸術作品とは? この疑問に答えるのかなり厄介な事だ、私はかなり古い人間だし、今は田舎暮らし 世情には疎い事おびただしい。しかも抽象画と云う些か古い土俵で作品を作っている ので、総ての事を把握など到底出来ない。せめて新しいと云えば、数式で総てを 行っている点だが、これとて21世紀の初めにはあるていど解っている事なのだ。 また、表現手段は20世紀後半にはとてつもなく広がって、テクノロジーの発展は凄ま じい。 そんな訳で、些か心許ないが古くさい自分の考えを整理してみた。 今まで見てきた先人の考えで成る程と思えたのは、ラスキンの言葉だ。 「芸術作品は、よく見えるばかりでなく、よく語り、よく作用するモノでなくては ならない。」と彼は言った。これはなかなか芸術の本質を表した名言と私には思える。 しかも、とてもイギリス的な問題意識だ。漱石の文学論にも彼の美学の話しがある。 彼はナショナル・トラスト運動の創始者としても知られている。 「よく見える」を重視し他を軽んじると、唯美主義となるだろう(オスカー・ワイルドや ラファエル前派など・・。) これらは芸術の三分の一を云い表している。 「よく語る」を重視すると、ある種の道徳とか思想とかを云う事となるのかな。(例えばトルス トイや、社会主義リアリスト達の作品。)この芸術は宗教的とか政治的とかの概念を示す 効果的な方法となっている。それでこの種の芸術の価値は伝えようとすることの重要性 そのものと一致する事につきると云うわけだ。 「よく作用する」とは、芸術の価値がその機能の有用性に一致すると云う事で、例えば 建築の目的(丈夫で便利、広々、清潔・・とか。)にかなった建物はよい芸術作品だと云う 事になるわけだ。工芸やインダストリアル・デザインなどもそう云う事だろう。 ただ、この三つの考えを基準とするのは、そう簡単な事とは思えない、建物の場合 よく作用するかどうかの効果は暮らせば判り安いだろうが、彫刻、絵画の場合よく作用 するはかなり判断しにくいし・・・・。 よく見えると言っても、絵や建築がどんな時によく見えるかは、だいだい想像がつき 判るモノなのだが、私達はある場合は、それが趣味や趣向の問題である事も判るし、 あるモノがAの場合は二重丸だが、Bの時は×であると云う判断も知っているし、 同じ芸術作品が各個人により反応が違うと云う事も当たり前の事ではある事も判る のである。各個人の反応は性格又は気質、経験、環境、時代、地理、性別、年齢・・、 などにより、とても複雑な要因によっている。 こうなると、まったくわけが判らないが、これを解決する唯一の方法があるのでは ないだろうか。 それは、芸術の視覚的特徴は個人の判断の問題ではなく、ある自然法則の結果である ような「美」を持っているか、どうかによりと考える方法だ。これはあくまで私個人 の判断ではあるのだが、かなり昔から(プラトンあたり)ある話しでもある。 例えば、山であったり、花であったり、絵であったり、建物であるかは問題では なく、自然の内にあって、芸術作品に模倣される一定の調和、ある種のバランスが 有るか否かによっていると考えるわけだ。 少し長くなったので、残りの二つには言及しないが、三つの機能をすべて満たす なら、完全な芸術作品なのかと言うと、自信をもっては「そうだ」とは私は言えない。 おそらく、現代ではますます芸術を明解化しようとすると、われわれは特殊化しな ければ成らないだろう。今は作品の種類を分類するだけでも頭が痛くなるほどだ。 最後に敢えて総括らしきものを行うとすれば、芸術は一つの言語、伝達方法の一つ であろう、詩人のワーズワースやトルストイなどは、ほぼ同じ意味の事を言っている、 「人がかって経験した感情を私の心の中に呼び起こすこと、またそれを、運動、線 色、音、あるいは言葉、動作などなどで表し形にして、他人にその感情を伝える事。」 だいだいこんな事を定義している。かなりロマン主義的に思えるが、存外現代美術に も当てはまりそうだ。 ただ、トルストイはこの「感情」に固執していて道徳性を強く主張する。おそらくこの 考えは彼を社会的偏見に陥ってしまった様に思える。これはかなり危険と私は思う。 芸術の唯一の普遍的特徴は「美」であると思うが、美は純粋に形式的な特徴であって いかなる意味でも道徳的な特質ではない事に注意しなければならない。芸術が 奉仕すべきとする社会制度や宗教的な意気込みが消滅しても芸術はなお生き残るのが その特徴であると私は思うのだ。 「美」について始め体系的に書かれた芸術理論は古代ギリシャの哲学者プラトンや アリストテレスであり、「ミーメーシス」と云う概念は少しずつ形を変えてはいるが ローマ時代、中世、ルネッサンス時代、専制君主時代、市民社会、産業革命の時代、 現代にも有効な考えと思え生き残って来ているのは、なかなか大した考えだと思える のだ。 さらに付け加えれば、創作者である私としては、作った作品が「ミーメーシス」の 「美」の規範から逸脱していないかを、何時も検証していると云う事でもある。作者 の私にとって、芸術的な感情とは、存外そんなものでしかないのだ。私自身の個人的 感情などに取り付かれるのは、おそらく「美」にはちっとも近づけないと思えるのだ。 勿論、他の創作者の事は私にはまったく判らないし、創作中はまったくこの事などは 考えてはいない。 かなり堅苦しい文章になってしまいました、御免なさいね。 (2012.1.14 加筆)。 そんな事より練習をしなければね!今日の練習はこれです。 今夜の一曲。 Cziffra plays Chopin Impromptu Op. 51
by artist-mi
| 2009-07-25 17:17
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Comments(7)
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kawazukiyoshi at 2009-07-25 22:56
こんばんは
芸術の根本がなんであるかはひとつのテーゼだけで言い尽くせるものではないと思っています。 そこに存在するダイヤモンドのような立体的なものでしょう。 ピュアーのものを核としていながら、極わずかな不純物を含んでいる。 絶対的な命題で言い尽くすことが不可能なものが芸術でしょうね。 最近そういう風に考えることが多くなってきました。 愛についても突き詰めたひとつの定義をすることは間違っている、少なくともそうすべきではないというように思ってきているのです。 突き詰めた定義に従って束縛される生き方はどこか私が考えているものとは違う気がするのです。 定義というのは矛盾でなくてはいけません。 なんに矛盾するかというと、それは公理だったり、定義自身に対して 矛盾だとしているのですが、 公理自体が正しいかどうかは難しい問題を含んでいます。 正しいという言葉自体も問題なのですが 何かひとつの真理と呼べる原理があるかどうか疑問になってきている最近です。
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kawazukiyoshi at 2009-07-25 23:20
さて、ご質問にも関連しているので、前文を書いたのです。
物理学というのは実際に起こっている現象の解明と説明を目的としています。 ご存知のように、幾多の物理学の結果が出て、知られていた現象をうまく説明するのにあっていたらよしとするのが物理学です。新しい現象が発見されて今までの理論と合わなくなれば、なぜかとやり直して、その現象も含めたうまい説明方法を考えるのが物理学の研究です。天体の動きなどはニュートン力学で十分説明できたわけですが、それにあわない現象が出てきてしまった。量子力学という新しい説明方法を物理学者は考え出したわけです。
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kawazukiyoshi at 2009-07-25 23:20
数学は公理を作ってその公理の基で展開できる理論を用意し、その理論だけを頼りに研究を進めていく学問です。
非常に限られた論理に従って、どこまで何を解明できるかが研究の目的です。 私が研究しているブラウン運動も数学的に定義した中で何が言えるかを問う学問です。ですから、物理現象と合わない場合もあるわけです。古典的なブラウン運動の定義では、これだけのことしか言えないという限界がありました。 私の場合、新しい構造を入れた新しい定義の基でのブラウン運動の研究をしているわけです。ですから、古典的なブラウン運動の計算とは違った結果が出てきます。数学的な意味での新しい現象を捉えたことになります。ところが、それは、物理現象に非常に似ている。物理の人たちは感覚的に、実験を通して知っ低他のですが、説明は出kなかった。今やっていることが、それは純粋に理論展開の上から出た結果なのですが、物理の人たちは、あーそうかと受け入れようとしています。
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kawazukiyoshi at 2009-07-25 23:30
何度も書きますが、数学はあくまで理論の展開から出てくる結論しか採用しません。証明といっているものによってしか物事を信じないわけです。
物理の現実的な対応と数学の公理から何が出てくるかという研究方法は決定的に違うと思います。 ただ、数学の純粋理論だけを信じるかといえば、たとえば、別の公理を導入したおかげで、あまりにもおかしな結果が出てきてしまうこともあります。無矛盾なのですが、その公理を認めると、風呂オケにその容量よりもたくさんの水が入ってしまうなどということが計算として出てくることもあったのです。どんな関数も可測であるなどという結果はあまりにも多くの数学的な混乱を引き出してしまいます。 自然というのが、miさんがどういう風に捉えられているか分かりません。 もっと説明しなくてはいけないことがたくさんあるのですが、 物理学と数学は似ているようなところもありますが、根本的な考え方は違うといっていいと思います。 また、書きたいと思います。 今日もスマイル
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kawazukiyoshi at 2009-07-25 23:37
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artist-mi at 2009-07-26 17:58
kawazukiyoshi さん、こんにちは。
芸術作品のイメージをいろいろと表してみたと云う所です。 私が気に入っているのは最後の「人がかって経験・・・・。」と云う 定義です。このフレーズには未定義ともいえる「感情」という言葉が 入っているので、あやふやな定義になってしまっていますが、その 不確実な範囲が今の現代美術にもマッチする所を残している様に 思います。人にお話する時は先ずはこの話しをする事にしています。 私の制作にあたる姿勢もこの定義にはかなりマッチしている 実感がある所も支持する所ではあります。 作る方法はかなりシステマティックで工業的なのですが、表す 内容は感情そのものにかなり直接的に結びついていると自覚している 所ではあります。何時か本物のデジタルタブローの実物を御覧いただける 時もあると思っております。モニターで観るモノとタブローとしたモノ ではかなり面白さが違っていますよ。
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artist-mi at 2009-07-26 18:22
kawazukiyoshi さん。
物理学と数学の関係についてのお答え、ありがとう御座います。 先生にお話いただくと、かなり整理されてスツキリいたしました。 今世紀の物理学の研究観測結果を聞くと、今はどうなって居るか かなり自信が無くなってしまう小生でして、自然の概念も今の レベルだと、まだまだ解らない事がもの凄く多いのだと、驚かされ るばかりです。 また、自然感が脳科学の進歩でかなりグラグラしてしまいもう一度 考え直さなければと実感しだした所です。 数学はかなり芸術に近い存在のようですね。 ブラウン運動も物理学者の発見が、数学とどう結びつくのか 不思議に思っておりました。動き自体を予想すると云う事を体系化 すると云うお話でとても興味を持っています。絵描きの小生としては 軌跡を書かせ、動きの節目に変化を持たせて何かカオスの様なモノを 描画できないか、何か表情を持たせられないかと勘ぐってしまうのは 可笑しい事なのでしょうか。 |
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