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2019年 09月 03日
2019/09/03

日記:

   夕方、久しぶりでカラット晴れ暑いです。風は冷ややかで乾燥してきました。
  こんな時はエジプトを思い出します。あの砂漠を。

   エジプト文明は最古の文明だそうですが、随分染みが無い、漠然としたイメージしか
  私は持っていません。クレオパトラのプトレマイオス朝は紀元前30年頃で終わりましたが
  それ以前に30の王朝、8っの時代があり、始めはナルメル王の統一で3000年前になるそうです。
  随分長い王朝国家であった様です。

   エジプト美術(絵画)の特長は3000年の長きに亘ってほゞ一つの様式であったと云う事に
  尽きます。これは大変不思議な事に思えるのですが、西洋とか、中国とか、日本に当てはめると
  ちょっと考えられない事に思えます。

   例えば、人を題材とすると、眼だけが正面を向いた横顔、かなり奇異な感じがします。
  この目のお化粧は現代の女の人のそれと非常に類似しています。顔の下には正面を向いた
  肩、横から見た脚、何時も同じ感覚を憶えます。普遍的な何かの固定表現による表象。
  3000年の普遍的表現が何から来るのか、エジプトの絶対的価値観は神(ラー)であり、人々の
  関心事はよみがえりであり、生命の再生であり、その典型がミイラであると考えれば
  様式を革める必要が無かったのかも知れません。素晴らしい工芸、芸術品が墓の中から
  発見されるのもあながち納得してしまいます。

   それにしても3000年同じような社会システムとは、ちよっと想像出来ませんね。

   

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     今夜の一曲。

          Michelangeli - Ravel Piano Concerto - [1] Allegramente

            





# by Artist-mi | 2019-09-03 18:13 | Comments(0)
2019年 08月 25日
2019/08/25
 日記:

   秋の気配のする一日。スイカを二つ頂いた。『うれしい』。

    薬局へ行ったら「エスタック」と云う風邪薬を発見、そう言えばTVでも宣伝してた様な ! 
   私にとっての「エスタック」とは、コレ !

     L'Estaque. View through the Trees, 1879, Paul Cezanne
         画面下の地面が描かれている所が凄い。
      
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       今夜の一曲。

           Tarkovsky quartet: "Le temps scellé: Mychkine"

             



 


# by Artist-mi | 2019-08-25 20:45 | Comments(0)
2019年 08月 18日
2019/08/18

 日記:

    1954年の夏、パリで写された ? 美しいご婦人の写真。
   とても上手にカッティングされたワンピース、華美でないスタイルが魅力的。     

    

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                                      Henri Cartier-Bresson ,1954 Paris


              今夜の一曲。

     SOLITUDE ANDREA MOTIS JOAN CHAMORRO & SIMFONICA DEL VALLES ( RUBEN GIMENO DIRECCION )


       






# by Artist-mi | 2019-08-18 21:02 | Comments(0)
2019年 08月 18日
2019/08/18

artist-miとして一言。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕3日で中止となった問題について話さなければと思い書いておきます。その3。


 作品を作る者の一人として、今回の展示の最大の問題点で、しかも大失敗点は「作品名」を間違って展示した事につきます。これは作者に対する侮辱です。作品名は作品の表現をある意味補う大切なモノなのです。こんな事を言うのは・・・ですが、名画と言われるモノの中にも作品名が変わっていたと云うモノが時々ありますし、その名前を付けなければ内容が解らない絵もあります。ブロンズィーノの「愛のアレゴリー」などは題が無ければ何のことや、となると思います。今回の像の作品名は「平和の少女像」であり、「慰安婦像」ではありません。大韓民国内で慰安婦像と呼ばれている様なので確かめる必要が生じたと思います。しかし主催側の資料のこの展覧会の展示予定作品一覧の中の作品内容の欄にこの作品は慰安婦と記載されていました。その時点でそもそも間違って記載されています。主催者はいろいろな問題が生じる可能性が予測されると云う点を想像出来なかったのでしょう。とても安易な思考だと言わざるをえません。ここは作者に聴くべき問題なのです。実際会う事もこの時代でしたら簡単な事でしょうし、作者も主催が県なら会ってもらえる可能性も高いでしょう。
 そもそも、像が靴を履いていない点に表現を感じなかったのでしょうか? このキュレーターのセンスの無さに落胆します。展覧会を開いた行政側は先ず作者に謝罪するべきでしょうし、こう云う事が行われてしまう文化行政の責任者として文部大臣も責があると思います。(小生としては行政は芸術表現に関わってはもらいたくないですね)。この展示を擁護する側の一部や反対する側、行政もトンチンカンな視点で話しを戦わせるのは大変不見識と思えています。

  この件はこれでお仕舞とします。





# by Artist-mi | 2019-08-18 13:18 | Comments(0)
2019年 08月 13日
2019/08/13

artist-miとして一言。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕3日で中止となった問題について話さなければと思い、一般的な事を書いておきます。その2。

 この展示が反発を呼んだのは思うに作品が政治性を持ち、プロパガンダと見られたからでしょう。タイミング的に大韓民国の一部の反日運動の象徴として使われた像があります。作者はどう思っているかはどうも不明でハッキリした意思はわかりませんが、素足である事がポイントです。他の作品は以前から知られている作品であります。中止にしたのは芸術展として間違いでした。テロは公安が対処すべき仕事です。この国では芸術作品に政治性を排除する事を当然と考える人々がいますがそれは間違いです。芸術には政治的な意味合いが含まれているのは事実であり、人間社会に生きる芸術家が作品を作るのですから政治性もあって当然なのです。むしろ政治性の無い作品を作る事の方がたいへん難しいと言えます。政治的要素の含まれる作品の例を一つ上げてみましょう。

 彫刻作品で人類史上最高の傑作作品と云えば、ミケランジェロのダビデ像です。この作品を観ると驚愕する以外ありません。少年ダビデがゴリアテと戦うその時の一瞬の手前の動きを、その内的エネルギーの緊張を表していて、身体の完璧な模倣が作品となっています。
 ダビデの像はミケランジェロの前にも、ドナテルロやヴェロッキオの像がメジチ家の注文で作られていてそれも素晴らしい像なのですが、それらは戦いが終わり勝利したダビデを像にしたモノです。ミケランジェロの作は1502年にフィレンツェ政庁から製作を頼まれたモノでした。フィレンツェはこの当時大銀行家メジチ家を駆逐して共和制都市国家でありました。(フィレンツェの自治都市宣言は1115年にさかのぼります)。フィレンツェの守護神はダビデでありますが、共和国の理想をこの像は表しているのです。その証拠にこのダビデ像は1504年、フィレンツェ政庁舎の入り口の左側に設置されました。この設置には委員会が設けられダビンチも入っていました。ほゞ総意だったそうです。ミケランジェロは自身メジチ家の庇護を受けていましたが、共和主義者でした。この像は500年以上共和制のシンボルとしての政治性をはたして来たといえますが、どんな専制君主でも撤去する事は出来ていませんし、誰もそんな事は考えもしていません。像のミーメーシスによる美は圧倒的なモノなのです。これが芸術の力と云えましょう。(実は果たしていたため攻撃を受けています。長椅子を窓から投げられ左腕が折れてしまいました。勿論修理され政庁は像の安全のため護衛を置きました。しごく尤もな事です。1527年春のメジチ家再追放の暴動時)。(現存のモノはレプリカで本物は痛みのためアカデミア美術館に移されています)。

 その他の作品の例としては、建築だったらローマのパンテェオン、絵画だったらレオナルドの最後の晩餐。音楽だったらベートゥベンの第三シンホニー。桃山時代のお茶の道具。ピカソのゲルニカ。もう限がありません。珍しく私が政治性が無いなと感じる作品はセザンヌの林檎とオレンジ。モンドリアンの抽象画。モネのスイレンは結構政治性を感じますね。





# by Artist-mi | 2019-08-13 21:58 | Comments(0)
2019年 08月 12日
2019/08/12

artist-miとして一言。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕3日で中止となった問題について話さなければと思い、一般的な事を書いておきます。

 19世紀の一群の作家が中心にすえた問題は芸術の倫理的な主題でした。例えばラスキンやトルストイ、彼らは芸術に倫理的な基礎を中心に置こうとかなり情熱持ってを戦ったのですが、いろいろ多く論を作りましたが、私的にたどり着いたと思われる意見は一つしかないと思いました。曰く 芸術は倫理的でなければならない。芸術家は最高の人生の水準に立っている必要がある(トルストイ)と云うモノです。しかし有史以来そして今も、芸術は頑固に依然、非倫理的であります。ラスキンからトルストイに至る説は芸術家の間に反対の現象を生み出したに過ぎませんでした。そしてその事は本当の意味で芸術がかくも効果的に非倫理的であった事を証明しているとも言えるのです。芸術が抗議や党派の激しい感情を起こしたことは殆んどありませんでしたが、日本と言うわりと無関心な国家でも芸術作品は激怒した人々やある種の政治家に悪しざまに云われ汚されました。 また、一方何処かの国では作品が有罪とも言える宣告をされ、出版停止や演奏禁止にもなっています。現在の芸術家は大昔の迫害された聖者の地位を占めるかの様です。
 ここでお話した逆説の説明はわりと簡単ではありますが、実際において芸術は純粋になればなる程増々倫理的になるモノだからです。その究極では芸術は真理と関係しています。そしてその心理は最上位の論理的価値でありましょう。現代芸術があまり人気がないのは、その価値を追求するあまり、すべての情緒や妥協を排除してしまう所にあります。絵画ならば、実体のために陰影を捨ててしまったり、形式の為に外観の形を捨ててしまったりしています。詩では、人間の言葉のリズムの巧みな工夫や韻を否定したりもしました。小説では人間の行動の心理的動機を剥きだしにしてしまいました。芸術一般では想像は顕示欲の道具である事、曖昧にする手段では無い事を意識していると言って良いでしょう。現代芸術では大衆は未知の世界を発見し、人々は驚いたり憤慨したりします。しかしこれらの新しいイメージや幻想を忘れ去る事は出来ません。古い観念よりも活き活きとしてはるかに真実なのであります。大衆がこれらを表現として認める時、芸術は倫理的目的を達したとも言えます。ある意味倫理的目的とは世界の真の事柄の一つを受け入れさせる事とも言えるのです。
 大衆と芸術家が一般的に受け入れられている道徳の因襲の中に居る限り、芸術は将棋の様なモノであり、はっきりとした機能を持っていますし、規範を適用して巧みに時に器用に様式や記憶の様な特長を使って機能している様にみえます。しかし芸術家は常に規則を破り捨て新しい事を発見した人々でありました。その意味で平和を乱す者、道徳を踏みにじる者、時に悪の庇護者であると云う事の責めを免除される事は出来ません。しかしこの社会と云うシステムは何かこういった騒ぎを必要としています。人々が愚かにも熱望する安定な暮らしは沈滞の事に過ぎません。さして沈滞は緩やかな死でしかありません。この社会と云うシステムは思うに動的な軽い緊張状態である必要があります。安全と安定の希望は冒険と変化への衝動と発散によって釣り合わされねばならないと思えます。
 ギリシャの哲人プラトンは彼の共和国より詩人を排除しました。しかしその共和国は完全なのモノの虚偽の雛型でした。その国は為政者に実現されるかも知りませんが機械の様にしか機能しませんでした。機械が機械として動くのは非有機的物質で作られているにすぎないからです。もし有機的な活き活きとした社会と静的な全体主義政体の違いを言い表すとするなら一言で表せます。それは芸術と云う言葉でしょう。この社会と云うシステムは芸術家が自由に働く事が許されると云う条件でのみ、大部分の人々にとって唯一の価値ある人生の是認である自由と知的発達の理想を求めて行けると実感しています。私達の国、社会というシステムがそうなります様何時も願っています。





# by Artist-mi | 2019-08-12 22:29 | Comments(0)