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2019年 08月 18日
2019/08/18

 日記:

    1954年の夏、パリで写された ? 美しいご婦人の写真。
   とても上手にカッティングされたワンピース、華美でないスタイルが魅力的。     

    

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                                      Henri Cartier-Bresson ,1954 Paris


              今夜の一曲。

     SOLITUDE ANDREA MOTIS JOAN CHAMORRO & SIMFONICA DEL VALLES ( RUBEN GIMENO DIRECCION )


       






# by Artist-mi | 2019-08-18 21:02 | Comments(0)
2019年 08月 18日
2019/08/18

artist-miとして一言。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕3日で中止となった問題について話さなければと思い書いておきます。その3。


 作品を作る者の一人として、今回の展示の最大の問題点で、しかも大失敗点は「作品名」を間違って展示した事につきます。これは作者に対する侮辱です。作品名は作品の表現をある意味補う大切なモノなのです。こんな事を言うのは・・・ですが、名画と言われるモノの中にも作品名が変わっていたと云うモノが時々ありますし、その名前を付けなければ内容が解らない絵もあります。ブロンズィーノの「愛のアレゴリー」などは題が無ければ何のことや、となると思います。今回の像の作品名は「平和の少女像」であり、「慰安婦像」ではありません。大韓民国内で慰安婦像と呼ばれている様なので確かめる必要が生じたと思います。しかし主催側の資料のこの展覧会の展示予定作品一覧の中の作品内容の欄にこの作品は慰安婦と記載されていました。その時点でそもそも間違って記載されています。主催者はいろいろな問題が生じる可能性が予測されると云う点を想像出来なかったのでしょう。とても安易な思考だと言わざるをえません。ここは作者に聴くべき問題なのです。実際会う事もこの時代でしたら簡単な事でしょうし、作者も主催が県なら会ってもらえる可能性も高いでしょう。
 そもそも、像が靴を履いていない点に表現を感じなかったのでしょうか? このキュレーターのセンスの無さに落胆します。展覧会を開いた行政側は先ず作者に謝罪するべきでしょうし、こう云う事が行われてしまう文化行政の責任者として文部大臣も責があると思います。(小生としては行政は芸術表現に関わってはもらいたくないですね)。この展示を擁護する側の一部や反対する側、行政もトンチンカンな視点で話しを戦わせるのは大変不見識と思えています。

  この件はこれでお仕舞とします。





# by Artist-mi | 2019-08-18 13:18 | Comments(0)
2019年 08月 13日
2019/08/13

artist-miとして一言。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕3日で中止となった問題について話さなければと思い、一般的な事を書いておきます。その2。

 この展示が反発を呼んだのは思うに作品が政治性を持ち、プロパガンダと見られたからでしょう。タイミング的に大韓民国の一部の反日運動の象徴として使われた像があります。作者はどう思っているかはどうも不明でハッキリした意思はわかりませんが、素足である事がポイントです。他の作品は以前から知られている作品であります。中止にしたのは芸術展として間違いでした。テロは公安が対処すべき仕事です。この国では芸術作品に政治性を排除する事を当然と考える人々がいますがそれは間違いです。芸術には政治的な意味合いが含まれているのは事実であり、人間社会に生きる芸術家が作品を作るのですから政治性もあって当然なのです。むしろ政治性の無い作品を作る事の方がたいへん難しいと言えます。政治的要素の含まれる作品の例を一つ上げてみましょう。

 彫刻作品で人類史上最高の傑作作品と云えば、ミケランジェロのダビデ像です。この作品を観ると驚愕する以外ありません。少年ダビデがゴリアテと戦うその時の一瞬の手前の動きを、その内的エネルギーの緊張を表していて、身体の完璧な模倣が作品となっています。
 ダビデの像はミケランジェロの前にも、ドナテルロやヴェロッキオの像がメジチ家の注文で作られていてそれも素晴らしい像なのですが、それらは戦いが終わり勝利したダビデを像にしたモノです。ミケランジェロの作は1502年にフィレンツェ政庁から製作を頼まれたモノでした。フィレンツェはこの当時大銀行家メジチ家を駆逐して共和制都市国家でありました。(フィレンツェの自治都市宣言は1115年にさかのぼります)。フィレンツェの守護神はダビデでありますが、共和国の理想をこの像は表しているのです。その証拠にこのダビデ像は1504年、フィレンツェ政庁舎の入り口の左側に設置されました。この設置には委員会が設けられダビンチも入っていました。ほゞ総意だったそうです。ミケランジェロは自身メジチ家の庇護を受けていましたが、共和主義者でした。この像は500年以上共和制のシンボルとしての政治性をはたして来たといえますが、どんな専制君主でも撤去する事は出来ていませんし、誰もそんな事は考えもしていません。像のミーメーシスによる美は圧倒的なモノなのです。これが芸術の力と云えましょう。(実は果たしていたため攻撃を受けています。長椅子を窓から投げられ左腕が折れてしまいました。勿論修理され政庁は像の安全のため護衛を置きました。しごく尤もな事です。1527年春のメジチ家再追放の暴動時)。(現存のモノはレプリカで本物は痛みのためアカデミア美術館に移されています)。

 その他の作品の例としては、建築だったらローマのパンテェオン、絵画だったらレオナルドの最後の晩餐。音楽だったらベートゥベンの第三シンホニー。桃山時代のお茶の道具。ピカソのゲルニカ。もう限がありません。珍しく私が政治性が無いなと感じる作品はセザンヌの林檎とオレンジ。モンドリアンの抽象画。モネのスイレンは結構政治性を感じますね。





# by Artist-mi | 2019-08-13 21:58 | Comments(0)
2019年 08月 12日
2019/08/12

artist-miとして一言。「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が開幕3日で中止となった問題について話さなければと思い、一般的な事を書いておきます。

 19世紀の一群の作家が中心にすえた問題は芸術の倫理的な主題でした。例えばラスキンやトルストイ、彼らは芸術に倫理的な基礎を中心に置こうとかなり情熱持ってを戦ったのですが、いろいろ多く論を作りましたが、私的にたどり着いたと思われる意見は一つしかないと思いました。曰く 芸術は倫理的でなければならない。芸術家は最高の人生の水準に立っている必要がある(トルストイ)と云うモノです。しかし有史以来そして今も、芸術は頑固に依然、非倫理的であります。ラスキンからトルストイに至る説は芸術家の間に反対の現象を生み出したに過ぎませんでした。そしてその事は本当の意味で芸術がかくも効果的に非倫理的であった事を証明しているとも言えるのです。芸術が抗議や党派の激しい感情を起こしたことは殆んどありませんでしたが、日本と言うわりと無関心な国家でも芸術作品は激怒した人々やある種の政治家に悪しざまに云われ汚されました。 また、一方何処かの国では作品が有罪とも言える宣告をされ、出版停止や演奏禁止にもなっています。現在の芸術家は大昔の迫害された聖者の地位を占めるかの様です。
 ここでお話した逆説の説明はわりと簡単ではありますが、実際において芸術は純粋になればなる程増々倫理的になるモノだからです。その究極では芸術は真理と関係しています。そしてその心理は最上位の論理的価値でありましょう。現代芸術があまり人気がないのは、その価値を追求するあまり、すべての情緒や妥協を排除してしまう所にあります。絵画ならば、実体のために陰影を捨ててしまったり、形式の為に外観の形を捨ててしまったりしています。詩では、人間の言葉のリズムの巧みな工夫や韻を否定したりもしました。小説では人間の行動の心理的動機を剥きだしにしてしまいました。芸術一般では想像は顕示欲の道具である事、曖昧にする手段では無い事を意識していると言って良いでしょう。現代芸術では大衆は未知の世界を発見し、人々は驚いたり憤慨したりします。しかしこれらの新しいイメージや幻想を忘れ去る事は出来ません。古い観念よりも活き活きとしてはるかに真実なのであります。大衆がこれらを表現として認める時、芸術は倫理的目的を達したとも言えます。ある意味倫理的目的とは世界の真の事柄の一つを受け入れさせる事とも言えるのです。
 大衆と芸術家が一般的に受け入れられている道徳の因襲の中に居る限り、芸術は将棋の様なモノであり、はっきりとした機能を持っていますし、規範を適用して巧みに時に器用に様式や記憶の様な特長を使って機能している様にみえます。しかし芸術家は常に規則を破り捨て新しい事を発見した人々でありました。その意味で平和を乱す者、道徳を踏みにじる者、時に悪の庇護者であると云う事の責めを免除される事は出来ません。しかしこの社会と云うシステムは何かこういった騒ぎを必要としています。人々が愚かにも熱望する安定な暮らしは沈滞の事に過ぎません。さして沈滞は緩やかな死でしかありません。この社会と云うシステムは思うに動的な軽い緊張状態である必要があります。安全と安定の希望は冒険と変化への衝動と発散によって釣り合わされねばならないと思えます。
 ギリシャの哲人プラトンは彼の共和国より詩人を排除しました。しかしその共和国は完全なのモノの虚偽の雛型でした。その国は為政者に実現されるかも知りませんが機械の様にしか機能しませんでした。機械が機械として動くのは非有機的物質で作られているにすぎないからです。もし有機的な活き活きとした社会と静的な全体主義政体の違いを言い表すとするなら一言で表せます。それは芸術と云う言葉でしょう。この社会と云うシステムは芸術家が自由に働く事が許されると云う条件でのみ、大部分の人々にとって唯一の価値ある人生の是認である自由と知的発達の理想を求めて行けると実感しています。私達の国、社会というシステムがそうなります様何時も願っています。





# by Artist-mi | 2019-08-12 22:29 | Comments(0)
2019年 08月 07日
2019/08/07

 日記:

   母の往診で来宅する「先生」は小生を診てどうも血液検査をしたいらしいのです。
  そんなに心配はないと思うのですが、専門家の目は無視するのも何ですから、ともかく
  血液検査をして頂きました。何も悪い所は無かったのですが、肝臓の数値から
  疲労が溜まっているとのご指摘。ヤレヤレです。対処法は軽い運動が良いとの事でした。
  これが良い睡眠と快食になるそうです。
   
   此処は冬はとても寒いし、ついつい運動していませんね。母に時間的拘束もありますし。
  母が施設に入居もしたので、少し運動出来る時間が取れるかも知れませんので昔やって
  いた自転車の散歩でもまたやって気晴らしでもしてみようと思い、自転車を物置から
  ひっぱり出してきました。此れ40年モノです。雨に当って無いので大丈夫だとは思いますが
  先ずは整備しました。

   回転部のグリスは硬く劣化していますし、ブレーキや変速機のワイヤーも錆びています。
  ブレーキのゴムシューもだめでした。フレームに錆びも少しあります。 
   シートは高く設定していて、今は無理、ハンドルもドロップでちょっと辛いです。
  足が短くなってしまったのか・・・・。ハンドルバーとシートを交換、シートポストを低くし
  全体に小さくセッティングし直しました。
   乗ってみると何かセンターがビシット決まりません。車輪がブレているのか、フレームが
  歪んでいるのかも知れません。 

   メインテナンスを実行し、如何にか乗れる所までやってみましたが、BBセットは錆で
  固着して分解できませんでしたし、ペダルのグリスアップも錆び付いて駄目でした。
  どうにかグリススプレーを吹き込むのがやっとでした。チェーンはかなり減っていますが
  まだ使えそうなので、廃油で洗い、鉱物油を塗って軽く拭き取っておきました。
  スポークはニップル回しでバランスを調整、とは言っても完璧にはほど遠い状態ですが
  どうにか真っ直ぐ転がっています。リムの側面は荒れと汚れが酷いのでヤスリで研磨し
  直しました。ブレーキシューも新しいのでこれで制動力はかなり良くなりました。
  ちょっと鳴り気味です。
 
   久しぶりに自転車をこぐと足首、太ももの後ろ側がひどく痛みます。脚力の低下を実感
  自信喪失です。
   とは云え、気分は昔に戻っています、楽しみがふえました。

   整備した古い自転車と、田舎道のペダリングの印象を絵にしてみました。

              

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   基本の設定式は Z = Fn1(Z); Z = Z*C - C/(Z*Z+P1) 

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     今夜の一曲。

        Dvořák: Symphony No. 8 - Rotterdam Philharmonic Orchestra - Live concert Yannick Nézet-Séguin

         






# by Artist-mi | 2019-08-07 14:52 | Comments(2)
2019年 07月 29日
2019/07/29

 日記:

  友人が来宅、目的は春に作ったSPレコード再生装置を聴くという事です。

 しかし、忙しくて作ってからあまり試聴してなかったのです。それにレコードの
 清掃もこの長雨で進んでいませんでした。取り敢えずクライスラーのブラコンと
 ワルター・ウィーンのジュピターしか用意がありません。

 掛けたとたん、驚きました。まるで50年代のLPレコードに少しスクラッチ
 ノイズが入った程度の鮮明な再生音、かなり不思議な経験の再生音、リアルです。
 SPは絶対いわゆる電蓄で聴くべきと確信しました。蓄音機などで聴く必要は
 全くありません。だいいち針でSPレコードを破壊させてしまいます。
 小生が聴いた上質の蓄音機はHMVの202で5Aが付いているもので状態はとても良い
 モノですが、とても今回のSP装置の足元にも及びません。全域で音が総て
 何の衒いもなく鳴りきっています。これは蓄音機ではまったく無理な事です。

 クライスラーのブラコン(バルビローニ・ロンドン・1936.6)日本ビクター盤を
 聴きました。なるほど一楽章は衰えを強く感じます、此処で音を張りたいのに
 どうしたと言う所も散見されますし、ピッチがわずかに高く設定されていて
 聴き映えする様にしていますが、音程が怪しいし、半音がなぁーと云う所も
 あります。でもオケはかなり良いし、木管のパートも聴き映えします。
 ファゴットやホルンも素晴らしいし、クラリネットもとても良いです。
 SPの再生でアンサンブルのバランスがどうこう言えると云う所が音質の
 次元の違いが聴こえていると云う証明ではないでしょうか。
 クライスラーも二楽章、三楽章はとても安定して来ていますし、自身の特長で
 ある親しみと優しさが佳く表現されています。今時、こんなブラームスの
 三楽章は聴く事が出来ません。小生はこの演奏のブラームスは信頼できます。
 何故なら、二人は同じ時代の人であり、良く会っている仲間なのですし、
 同じ文化を共有している人達だと云う事なのです。
 流石に、オケのヴァイオリンパートは繊細な響きとは今の所ゆきませんが、
 少し思い当たる所があるので暇になったら改良してみましょう。

 ワルター・ウィーンの41は一楽章と二楽章をききました。コロンビア盤のST盤
 よりも、ウィーンの方がスッキリした響きと流れになっていました。
 とは故、指揮は非常に近似しています。当たり前と云えは当たり前なのですが。
 二楽章の木管は実に素晴らしい響きで、ホールトーンも美しいです。
 ワルターはこの録音をして直ぐにウィーンを去りました。ヒットラーの悪さの
 ためです。酷い時代でした。

 もっと聴いていたいのですが、帰宅時間となり、駅へ送って行きました。
 彼も満足のご様子で、まずは目出度しめでたしです。


  装置を少し話して置きます。プレヤーはテクニクスのSL1200G、トルクは十分の
 様に感じました。アームは付属のモノ、これは軽量で高感度、素晴らしい性能で
 SPにも十分通用する。盤の波打ちのトレース能力は抜群、綺麗に波打ちを
 乗り越えられます。以前はオイルダンプの重く長いアームを使っていたがその選択は
 間違いでした。軽いアームの設定の壺はインサイドホォースを少なくする事で
 検出用の真っ平な溝無しのビニール盤を使い設定します。この場合アームの目盛りは
 78では使えないので注意が必要です。針はテクニカのAT-MONO3/SPを使用、針圧は
 3.8g常識よりかなり軽いが、全く問題なく使用でき、fffのティンパニーでも
 綺麗にトレース出来ました。
  プリはX7、簡単ですが、部品は良いモノを使用しました。抵抗は東京光音電波の
 RN65Eを主に使用、RD14Aも少し使っています。電解はテクニクスの有機
 固体電解コンデンサーとASCのX363、デップマイカを使用しました。
  メインアンプは12BH7Appの全段差動定電流増幅のモノです。これはペルケ式の
 大変素晴らしい音質の回路で出力はたかだか1.6Wですが、夢の様な高忠実な音質
 です。二か所程Z201とデールのNS-5Bが使っています。電源はFETを使った
 定電圧式で、電源を投入しても何も雑音が聞こえません。ぺるけ氏には定電流
 ダイオードの頒布で大変お世話になりました、感謝に堪えません。
  スピーカーは自作のバスレフでウーハーはフォステックスの12cm、高音用は
 リボン式、アッテネーターはラックスのトランス式、CはEROを使っています。
 Monoなので作る手間が半分で助かりました。SPコードはベルゲンの太目の普通の
 モノです。


    今夜の一曲。

     Rusanda Panfili - Verano Porteno (Astor Piazzolla)

     



     





# by Artist-mi | 2019-07-29 20:40 | SPレコード用プリの製作 | Comments(0)