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2013年 01月 31日
2013/01/31
 日記:

  たまの同窓会などで、久しぶりにあった友人達、男友達などには
   「今日は何処から来たの」。
   「今、何してるの」。
  など始めに聞いたりして話進めるのが、まぁ~暫く経つと、はたしてその内容は・・・、
  とんと思い出せない事ばかりです。確かに聞きたくてきいたのですが~~~?

  一度聞いて忘れないのは、女友達が今、独身か既婚かという事ですね。ただ
  これには聞き様があります。いきなり「あなた旦那さんはいらっしゃるの」。なんて
  何だか不躾で、とてもいけませんね。
   「お子さんは、もう大きいでしょう」。ぐらいに聞いてみる。すると・・・・。
   「え! お子さんって?」。
   「可愛いでしょう、あなたのお子さん」。
   「いゃだ、そんなもの、ありませんよ」。
   「そんなものって、まだ御結婚は。まだなんですか!」。
   「まだまだ、可哀想ですよ」。とか、「もう~、サッパリ」とか。

  この手の話は微妙な反応をもよおすらしく一度聞くと絶対忘れないですね。


   今日のデジタルタブローの練習は↓です。

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   今夜の一曲。

    "Quando Men Vo" La Bohème by Anna Netrebko

    






     
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by artist-mi | 2013-01-31 20:23 | Comments(0)
2013年 01月 24日
2013/01/24
日記:


 
  友達で集まり、一杯と言う事になるといろいろ話が進むことになります。

 仲間の一人に、話が大かた収束しだすと、必ず「しかし」。と言うのが居ます。
 彼は何事にも一応「しかし」を吐いてみるのですね。
 場によって「ちょっとな~」と気にはなる時もありますが、これは結構面白い事
 ではあって、必ずしも礼を失しているとは私は思いません。

 誰にしろ、自分の考えている事、自分の言う事が正しいと思っていましょう。しかし
 実際はそうではありますまい。
 人は間違った考えを持つことがありますし、ある意見には、それと同じ程度の正しい
 説得力を持つ意見がたいていあるものです。完全に正しい人も居なければ、完全に
 間違った人もいない。我が仲間は武部源蔵ではないが「いすれを見ても山家育ち」と云う
 わけです。

 唯我独尊と澄ましている事が出来そうもない我々。雑念に埋没して暮らす日々が当分
 続く様ですが、それは其れで幸せの時間かも知れませんね。


    久しぶりのデジタルタブローの練習、夕べは小雪がふりました。

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     今夜の一曲。

        Adele - Rolling In The Deep (Subtitulada)

         
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by artist-mi | 2013-01-24 17:08 | Comments(4)
2013年 01月 17日
2013/01/17
 日記:

   恥ずかしい!

  レストランに行くと、テーブルに塩、胡椒の小瓶が置いてあります。
 それを見ると今でも、昔の恥ずかしかった事を思いだします。
 ただ、何で恥ずかしかったのか、その時は何だか明確にに判らなかったのですね。

  それは、

 二十代の後半の頃、先輩(えらい大社長とでも思って下さい)。が昼飯を御馳走して下さると。
 当時、えらく立派なレストランに連れて行かれたのです。不慣れと云う事は無かったのですが
 形のとおり、オードブル、ポタージュスープと進くだのですが、味が薄く塩味が足りないと思い
 テーブルの塩の瓶を取り、スープにかなり塩を振りかけたのです。それを見て先輩は
 オー、随分塩をいれるな~。といったのです。
 これは実に恥ずかしかった。きっと顔が赤くなったと思います。

 ただ、なぜ恥ずかしかったのか、そこの所が今もどうにも良くわからないのです。
 まぁ~、香辛料を余計に用いると云うのは、何となく下卑ているかな~、そんな気がしないでも
 ありません。薄味が上品となっているから自然に濃い味は下品と云う事なのかな!
 大体、モノを食べると云うことは品の良い事でも無いと思えるのですね。品良く食事をしている
 方を見ると、何だか付いて行きたくなりますね。

 もう一つ、当時はまだ戦後の時代、食べ物が豊富ではありませんでした。空腹を強めの味付けで
 満足させていた事ではあります。貧しい事もありました。



  EL34ppDアンプ、その後。

  この数日、僅かに残ったヴァイオリン・パートのfffの時(主に新しめのアナログ録音)で
 時々、耳に付くきつい音の対策に集中しておりました。段間コンデンサーの交換で上手く
 取り除くことが出来ましたが・・・・・。
 
 部品なのか? 回路なのか? 特にこの回路の前段に使っている12AX7Aはミラー効果などにより
 入力容量の合計は120pF前後はありそうで、高域特性に大きな影響を及ぼしますから、その辺で
 嫌な色づけのある音がしても不思議ではありません。そのためにクロス中和を施して逃げて
 いるのです。今まで作った試作機や12BH7Appでは上手くいっているのですが、今回も成功とは
 まだ確信が持てません。再生周波数特性では良さそうなのですが・・・、それを頼りに
 部品の方をあたってみる事にしました。

 交換して試した部品は次ぎのとおりです。

  入力側の100ΩビィシーZ201をビィシーVARに交換。VARは扱い難い部品で手で直接触る事は
 出来ません。音質的にはより情報量が非常に高く、大きい音が崩れてくる事が感じられません。
 ただ、この交換では音質の向上はありましたが、きつい音は取れませんでした。

  次ぎに疑ったのは、段間のコンデンサーです。ASC X333FをASC X363に交換しました。
 X333Fは1000V耐圧でとてもしっかりした崩れの無い再生音ですが、いまいちエージングが
 済んでいない様な固い音でした。小さい音もしっかり出て、静かな印象でしたので時間が
 経てば良い音になるかも知れませんが、どうしても私には前記の耳障りのある所がありました。
 常用しているX363には、その音が目立たないので思い切って交換してみました。X333Fよりも少し
 弛めの音で、ちょっとX333Fを外すのは残念な気もします。363はレンジはよりワイドに聞こえました。
 癖が少ないのが優れている所です。全体に歪み感も感じられません。常用品だけに慣れも
 あるのでしょう。どちらが本来の音かはかなり難しい様にかんじられました。もしきつい音が
 エージングで無くなってくればX333Fの方がリアルな音に近くも思えましたが。

 「追記8/19」 このきつい高音は結局EL34のグリッド負荷抵抗器(タクマンREX1/4Wカーボン皮膜)の
  音質だったようです。RD14Aに交換して解決しました。


 現在、いろいろ聴きこみをしています。一応満足の様ですが、少し時間が必要ですね。
 どんなCDでも音が崩れない状態になっています。これは自作で初めてのことで、演奏が実に良く
 聴き分けられ、曲の構造と和声の効果が楽しめられる様になっています。CDの再生音が歪む様に
 聴こえると云う事は、アンプに問題が残っていると云う事なんだと思い始めました。

  なお今回、常用していた抵抗のなかでタクマンの1/4WREXオーディオ用カーボンはかなり音が落ちると
 思えましたので、REYの方を一般的な所には使う事に改めました。また、100Ωの所ではデールの
 NS-2BとVARを比較してみましたが、VARの方が私にはより自然で良い音と思われましたが、差は少なかった
 ので、コスト的にはNS-2Bも良い抵抗と思いました。鉄のリード線はカットして使用しています。
 使ってみないと判らないモノですね。


     今夜の一曲。


      Ayla Erduran plays A.Dvorak Violin Concerto - 1st Mouvement

       
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by artist-mi | 2013-01-17 20:55 | EL-34pp差動アンプでも。 | Comments(0)
2013年 01月 14日
2013/01/14
 日記: 成人の日

  雪、積雪20cmと云う所でしょうか。雪かきでくたびれて、午後は大相撲のTVを
 見ておりました。NHKのTVでも、時々御ひいきの声援が飛び込んできます。

  御ひいきと云うモノは、ひいきでも何でもない、はたの者からは、どうひいき目にみても
 正気の沙汰とは思われない方が時々いますね。日馬富士関のひいきらしい方が、声をからして
 踊り上がっての応援を以前みました。なにか正気の沙汰を通り越している気配。応援と云うより
 勝負と云う所から見れば丸損だな~。第一体力は消耗する、お金もそれなりにかかるし、
 まわりから、何だろう気はたしかか?と思われる。でも御当人にしてみれば、そんなのまったく
 関係ない。まあ~、そうなんでしょうね。まずけちん坊は相撲取りや俳優、タレントの御ひいき
 にはあまりなれないでしょう。それに冷静な人も決して「日馬富士~~」。とは大声で声援は
 送れない。感情の激しさを持つ人でないと、あの表情はできません。
  ところで人生では、感情のはげしくない、知のまさった人が幸福か、「日馬富士~~」。と
 大声を出す人が幸福か、これはまったく判らない。
  よほど知にすぐれていれば、感情の激しい人と比べて幸福だと思えるが、なまじっかの
 知力や分別では、時に情に流されて結局、普段笑ったり、怒ったり、喜んだりしなかった分
 何だか損をしている。「アァ~、そうだったか」と、気が付いた時には、血も涙も希望も
 何だか無くなっていて、今更「日馬富士~」と怒鳴ることも出来ない。!!!

  しかし、夢中で応援をする人を見ていると、何やら疑問が湧いてきますね。あの熱狂は
 実は相撲の応援のために有るのではなく、その人の心の中に、そんな風に狂るわんばかりに
 行動しなければやり切れない、そんなモノが潜んでいるのでは? そして御本人は、それが
 何であるか、とんと判らないのでは? そして自分で気が付くことが、自分にとってはなはだ
 不愉快であるような、そう云うモノに何か掛かわり合い、折り合おうがため、大声援になるの
 ではないか・・・・・・・・。

  しかし、人や物をひいきにする事があまり出来ない人間は何だか厭味なことも確かでは
 ありますね。しかもその逆の極もまた厭味なモノです。
 
 


   
    今夜の一曲。

     Leila Josefowicz - Bruch 1st Violin Concerto (part 1)

       
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by artist-mi | 2013-01-14 20:51 | Comments(0)
2013年 01月 12日
2013/01/12
  日記:

   ティーポットがやって来ました。欠いてしまったモノの補充です。

  いろいろネットで探してみましたが、やっと希望のモノを見つけました。
  でも、少し予算オーバーです。

   なにしろ美味しく紅茶が入らねば・・・・!  でもこれが難しいのですね。
  今まで経験から、良いティーポットには条件の様なモノがありますね。

   条件その1.  丸い形をしている事、かぼちゃの様な形ですね。

   その2.    深さが有る程度欲しいのです。

   その3.    茶こしが付いていない事。(かなり重要)。

   その4.    注ぎ口が入れ口と同じ位の高さで有ること。

   その5.    注ぎ口の傾斜が少しあること。

   その6.    磁器で、たたくとシャン・シャンと響くような焼きである事。

   その7.    白い釉薬のモノ(これは当方の嗜好)。

   その8.    蓋が注いでいるとき外れないモノ。

     
    午後、配達されたモノを良く洗って早速使ってみました。その写真。


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  香りも良く立って美味しい紅茶がでました。紅茶の入れ方の動画も上げておきます。


    おいしい紅茶の入れ方 : ポットと蓋が当たる時に出る音を聞いて下さい。
                    こんな音のする焼きだと美味しくでます。


     


    今夜の一曲。冬にはラフマニノフが合いますか。

     Gilels plays Rachmaninov: Vocalise op.34 no.14

      







 


   
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by artist-mi | 2013-01-12 17:35 | Comments(2)
2013年 01月 09日
2013/01/09
 日記:

  毎日寒い日が続き、室内に閉じこもっています。朝などマイナス10度を切っていますので
 なかなか大変ですが、やっと正月の喧噪も治まり静かな時を過ごしています。部屋が乾燥して
 埃っぽいので、連日掃除ばかりしていますが、弾みでティー・ポットを割ってしまい、家内は
 ご機嫌が斜めとなりました。
  早速、補充しなければ・・・・。 普段用の安くて使いやすいのないでしょうか?
 寒冷地なので冷めにくい丸型のモノを探しています。



 EL34ppのこの頃。

  ずっと試聴を繰り返しています。曲を聴くと云うより音を聴いているので少し詰まらないの
 ですが、もう少しで完成しそうです。
 気になるのはやはり高域のきつさが少しだけ抜けきらない所です。いろいろ調べたいのですが
 何処をどう調べるのかかいもく解りません。結局、方形波と再生周波数特性から考えるしか
 私のスキルではしょうがないのです。信号の発振器は4MHzがやっとなので、せめて10Mは
 欲しいのですが・・・・!
 方形波の極小さいリンギングを頼りに、その幅を小さくする様に負帰還抵抗へ微分補償回路を
 入れていろいろ探ってみましたが、帰還量が少ないのでいまいち効きが少ないです。どうにか
 150PFで手をうちました。かなり落ち着いてきましたが、もう少しハィを伸ばしたい所です。
 手持ちの5.6pFを5.1pFと交換しクロス中和をもう少し効かす事にしました。少しですが
 聴いた感じは良い様です。早速、再生周波数特性を取ってみると、20KHzまではフラットに
 また、100KHzでは0.13dB、0.29dbの改善、200KHzでは両ch共、0.21dBの改善が
 みられました。500KHz以上の所も0.3~程度は良くなっているのですが、手持ちの電圧計の
 精度はかなり低い帯域になるので・・・・!! 位相特性の方もみましたが、それなりに少し
 改善していました。

  この状態でしばらく聴いているのですが、一応納得させられる音にはなって来ました。
 第一ヴァイオリンのfffがキンキン言わず表情が出て来ています。テノールのfffの高い所も
 安心していられます。0.5Wの再生周波数特性を上げておきます。僅かな変化ですね。

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   今夜の一曲。

    Mozart / Maria João Pires, 1973: Piano Concerto No. 17 in G major, K. 453


    







  
  
  
 
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by artist-mi | 2013-01-09 18:18 | EL-34pp差動アンプでも。 | Comments(0)
2013年 01月 02日
2013/01/02
 明けまして、
  おめでとう御座います。


   今年も宜しくお願いいたします。みんな元気でニコニコで過ごすのが目標、
     皆さんと共に、頑張りましょう!


        新年、一作目のデジタルタブローです。

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  こんな文章を読んでみました。古いようで新しいです。

  性急な思想

   石川啄木



 最近数年間の文壇及び思想界の動乱は、それにたずさわった多くの人々の心を、著るしく性急(せっかち)にした。意地の悪い言い方をすれば、今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」という言葉の意味は、「性急(せっかち)なる」という事に過ぎないとも言える。同じ見方から、「我々近代人は」というのを「我々性急(せっかち)な者共は」と解した方がその人の言わんとするところの内容を比較的正確にかつ容易に享入(うけい)れ得る場合が少くない。
 人は、自分が従来服従し来(きた)ったところのものに対して或る反抗を起さねばならぬような境地(と私は言いたい。理窟(りくつ)は凡(すべ)て後から生れる者である)に立到り、そしてその反抗を起した場合に、その反抗が自分の反省(実際的には生活の改善)の第一歩であるという事を忘れている事が、往々にして有るものである。言い古した言い方に従えば、建設の為の破壊であるという事を忘れて、破壊の為に破壊している事があるものである。戦争をしている国民が、より多く自国の国力に適合する平和の為という目的を没却して、戦争その物に熱中する態度も、その一つである。そういう心持は、自分自身のその現在に全く没頭しているのであるから、世の中にこれ位性急(せっかち)な(同時に、石鹸玉(しゃぼんだま)のように張りつめた、そして、いきり立った老人の姿勢のように隙だらけな)心持はない。……そういう心持が、善いとも、又、悪いとも言うのではない。が、そういう心持になった際に、当然気が付かなければならないところの、今日の仕事は明日の仕事の土台であるという事――従来の定説(じょうせつ)なり習慣なりに対する反抗は取りも直さず新らしい定説、新らしい習慣を作るが為であるという事に気が付くことが、一日遅ければ一日だけの損だというのである。そしてその損は一人の人間に取っても、一つの時代に取っても、又それが一つの国民である際でも、決して小さい損ではないと言うのである。
 妻を有ちながら、他の女に通ぜねばならなくなった、或(あるい)はそういう事を考えねばならなくなった男があるとする。そして、有妻の男子が他の女と通ずる事を罪悪とし、背倫(はいりん)の行為とし、唾棄(だき)すべき事として秋毫(しゅうごう)寛(ゆる)すなき従来の道徳を、無理であり、苛酷(かこく)であり、自然に背(そむ)くものと感じ、本来男女の関係は全く自由なものであるという原始的事実に論拠して、従来の道徳に何処(どこ)までも服従すべき理由とては無いのだと考えたとする。其処(そこ)までは可(い)い。もしもその際、問題の目的が「然(しか)らば男女関係の上に設くべき、無理でなく、苛酷でなく、自然に背くものでないところの制約はどんなものであらねばならぬか」という事であるのを忘れて了(しま)って、既に従来の道徳は必然服従せねばならぬものでない以上、凡(すべ)ての夫が妻ならぬ女に通じ、凡ての妻が夫ならぬ男に通じても可いものとし、乃至(ないし)は、そうしない夫と妻とを自覚のない状態にあるものとして愍(あわ)れむに至っては、性急(せっかち)もまた甚(はなは)だしいと言わねばならぬ。その結果は、啻(ただ)に道徳上の破産であるのみならず、凡ての男女関係に対する自分自身の安心というものを全く失って了わねば止(や)まない、乃(すなわ)ち、自己その物の破産である。問題が親子の関係である際も同(おなじ)である。

        二

 右の例は、一部の人々ならば「近代的」という事に縁が遠いと言われるかも知れぬ。そんなら、この処に一人の男(仮令(たとえ)ば詩を作る事を仕事にしている)があって、自分の神経作用が従来の人々よりも一層鋭敏になっている事に気が付き、そして又、それが近代の人間の一つの特質である事を知り、自分もそれらの人々と共に近代文明に醸(かも)されたところの不健康(には違いない)な状態にあるものだと認めたとする。それまでは可い。もしもその際に、近代人の資格は神経の鋭敏という事であると速了(そくりょう)して、あたかも入学試験の及第者が喜び勇んで及第者の群に投ずるような気持で、(その実落第者でありながら。――及第者も落第者も共に受験者である如く、神経組織の健全な人間も不健全な人間も共に近代の人間には違いない)その不健全を恃(たの)み、かつ誇り、更に、その不健全な状態を昂進(こうしん)すべき色々の手段を採って得意になるとしたら、どうであろう。その結果は言うまでもない。もし又、そうしなければ所謂(いわゆる)「新らしい詩」「新らしい文学」は生れぬものとすれば、そういう詩、そういう文学は、我々――少くとも私のように、健康と長寿とを欲し、自己及自己の生活(人間及人間の生活)を出来るだけ改善しようとしている者に取っては、無暗(むやみ)に強烈な酒、路上ででも交接を遂げたそうな顔をしている女、などと共に、全然不必要なものでなければならぬ。時代の弱点を共有しているという事は、如何なる場合の如何なる意味に於ても、かつ如何なる人に取っても決して名誉ではない。
 性急(せっかち)な心! その性急な心は、或は特に日本人に於て著るしい性癖の一つではあるまいか、と私は考える事もある。古い事を言えば、あの武士道というものも、古来の迷信家の苦行と共に世界中で最も性急な道徳であるとも言えば言える。……日本はその国家組織の根底の堅く、かつ深い点に於て、何(いず)れの国にも優(まさ)っている国である。従って、もしも此処(ここ)に真に国家と個人との関係に就いて真面目(しんめんぼく)に疑惑を懐(いだ)いた人があるとするならば、その人の疑惑乃至(ないし)反抗は、同じ疑惑を懐いた何れの国の人よりも深く、強く、痛切でなければならぬ筈(はず)である。そして、輓近(ばんきん)一部の日本人によって起されたところの自然主義の運動なるものは、旧道徳、旧思想、旧習慣のすべてに対して反抗を試みたと全く同じ理由に於て、この国家という既定の権力に対しても、その懐疑の鉾尖(ほこさき)を向けねばならぬ性質のものであった。然し我々は、何をその人達から聞き得たであろう。其処(そこ)にもまた、呪(のろ)うべく愍(あわ)れむべき性急な心が頭を擡(もた)げて、深く、強く、痛切なるべき考察を回避し、早く既に、あたかも夫に忠実なる妻、妻に忠実なる夫を笑い、神経の過敏でないところの人を笑うと同じ態度を以て、国家というものに就いて真面目に考えている人を笑うような傾向が、或る種類の青年の間に風(ふう)を成しているような事はないか。少くとも、そういう実際の社会生活上の問題を云々(うんぬん)しない事を以て、忠実なる文芸家、溌溂(はつらつ)たる近代人の面目であるというように見せている、或いは見ている人はないか。実際上の問題を軽蔑(けいべつ)する事を近代の虚無的傾向であるというように速了している人はないか。有る――少くとも、我々をしてそういう風に疑わしめるような傾向が、現代の或る一隅に確(たしか)に有ると私は思う。

        三

 性急な心は、目的を失った心である。この山の頂きからあの山の頂きに行かんとして、当然経ねばならぬところの路(みち)を踏まずに、一足飛びに、足を地から離した心である。危い事この上もない。目的を失った心は、その人の生活の意義を破産せしめるものである。人生の問題を考察するという人にして、もしも自分自身の生活の内容を成しているところの実際上の諸問題を軽蔑し、自己その物を軽蔑するものでなければならぬ。自己を軽蔑する人、地から足を離している人が、人生について考えるというそれ自体が既に矛盾であり、滑稽(こっけい)であり、かつ悲惨である。我々は何をそういう人々から聞き得るであろうか。安価なる告白とか、空想上の懐疑とかいう批評のある所以(ゆえん)である。
 田中喜一氏は、そういう現代人の性急(せっかち)なる心を見て、極(きわ)めて恐るべき笑い方をした。曰(いわ)く、「あらゆる行為の根底であり、あらゆる思索の方針である智識を有せざる彼等文芸家が、少しでも事を論じようとすると、観察の錯誤と、推理の矛盾と重畳(ちょうじょう)百出(ひゃくしゅつ)するのであるが、これが原因を繹(たず)ねると、つまり二つに帰する。その一つは彼等が一時の状態を永久の傾向であると見ることであり、もう一つは局部の側相(そくしょう)を全体の本質と考えることである」
 自己を軽蔑する心、足を地から離した心、時代の弱所を共有することを誇りとする心、そういう性急な心をもしも「近代的」というものであったならば、否、所謂(いわゆる)「近代人」はそういう心を持っているものならぱ、我々は寧(むし)ろ退いて、自分がそれ等の人々よりより多く「非近代的」である事を恃(たの)み、かつ誇るべきである。そうして、最も性急(せっかち)ならざる心を以て、出来るだけ早く自己の生活その物を改善し、統一し徹底すべきところの努力に従うべきである。
 我々日本人が、最近四十年間の新らしい経験から惹(ひ)き起されたところの反省は、あらゆる意味に於て、まだ浅い。
 もしも又、私が此処(ここ)に指摘したような性急な結論乃至告白を口にし、筆にしながら、一方に於て自分の生活を改善するところの何等かの努力を営み――仮令(たとえ)ば、頽廃的(デカダン)という事を口に讃美しながら、自分の脳神経の不健康を患(うれ)うて鼻の療治をし、夫婦関係が無意義であると言いながら家庭の事情を緩和すべき或る努力をし、そしてその矛盾に近代人の悲しみ、苦しみ、乃至絶望があるとしている人があるならば、その人の場合に於て「近代的」という事は虚偽である。我々は、そういう人も何時かはその二重の生活を統一し、徹底しようとする要求に出会うものと信じて、何処(どこ)までも将来の日本人の生活についての信念を力強く把持(はじ)して行くべきであると思う。




  今夜の一曲。



     Brahms String Quintet No.1 1st mov.


     






  
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by artist-mi | 2013-01-02 14:50 | Comments(6)